【夢を実現させる妄想力】元総合格闘家の大山峻護さんの実話

やり抜く力の科学

ZOOMごしに写る彼の姿を見て、私はなんて穏やかで柔和な顔つきなんだろうと感銘を受けました。

その穏やかな表情からは、彼がリングの上で見せていた虎のような獰猛さは微塵も感じられません。

これがあの大山峻護か?

私は自分の目を疑いたくなるほどに、彼は優しく大らかな様子でZOOMの奥で話を始めました。


おはようございます!

今日も元気に爽やかに!楽しんでいきましょう!

今日お伝えするのは、元総合格闘家の大山峻護さんの半生についてです。

先日大山さんのお話を直接伺う機会がありましたので、その不思議に満ち溢れた人生の軌跡をあなたにも共有したいと思います。

 

格闘界に衝撃をもたらした男


大山さんは日本を代表する総合格闘家として活躍された方なのであなたも知っているかもしれません。

現役時代には、当時世界最強と言われていたピーターアーツを試合開始30秒でKO勝ちするという偉業を成し遂げられました。

大山峻護VSピーター・アーツ

 

この動画を見ると、あまりにも瞬殺すぎて大山さんの方が最初から圧倒的な力を誇っていたように見えてしまいますね(笑)

しかし、この時の大山さんは世間からは勝てないだろうと言われていたそうです。

これは番狂わせ中の番狂わせで、当時の格闘界をびっくりさせる出来事でした。

大山さんは、幼少の頃から才能に恵まれていたわけでもなければ、周囲から神童と囃されていたわけでもないと言います。

 

偉業を成し遂げたのは「妄想」の賜物


大山さんは、もともとは周囲と比べて格闘技のセンスがなく体力もなかったそうです。

彼によると、自分が唯一持っていたものは「妄想力」だったと言います。

現在46歳、40歳まで現役の格闘家として活動されていました。

それまでに大山さんが追った怪我の数は計り知れません。

両目の網膜剥離、腕の骨折、鼻も折られているそうです。

まさに満身創痍!!

それでも続けてきたということは相当格闘技を愛されていたのだなと察しがつきますね!

 

妄想の始まりはウルトラマン

大山さんは総合格闘技で名を馳せた選手ですが、もともとは柔道家でした。

柔道を始めたきっかけは、小さい頃にウルトラマンを見た事だそうです(笑)

「自分もあのように強くなりたいな!」

「ウルトラマンてかっこいいな!」

それが妄想の始まりでした。

大山さんは当時、体も小さいし力も弱かったそうですが、それでもあのようになりたいと心底思ったそうです。

しかし、入門した柔道教室では毎回泣いて帰ってたと言います。

周りよりも弱くて、勝てなくて、毎日悔しい思いをしていたそうです。

 

挫折しても夢を描き続けた学生時代

それから時間が経つにつれて、次第に大山さんのヒーローが変わっていきました。

中学生の時には、バルセロナオリンピックの金メダリストの古賀稔彦さんが憧れの存在になったそうです。

お母さんを説得して、古賀さんがいる中学校に入学しました。

入部試験ではボコボコにされてしまったけど、受け身が上手いという理由で入門を許可されたそうです。

しかし全国に名を馳せる名門チームの中で独り、毎日ギタギタにされてしまいます。

当時はみんなから馬鹿にされたそうです。

それでも、大山さんは夢を描き続けました。

いつか古賀さんのようになるんだ!
そうなったらどうなるだろう・・

夢を描くことは、当時の大山少年の原動力でした。

 

瀧本誠さんとのエピソード

大山さんが中学生だった当時、同じ学年で一番強かったのは、後にシドニーオリンピックで金メダルを獲得する瀧本誠さんでした。

一方で、一番弱いのは自分だったと大山さんは言います。

それ以降も大山さんは懸命に努力を続けますが、大学に入っても結果は出なかったそうです。

体は満身創痍で怪我だらけ、さらに力が弱いため相手を投げることができない。

どうしようかと悩んだ挙句、

大山さんは飛びつき逆十字という新技を編み出しました。

当時はそのような技を使う選手が誰もいなかったそうで、これが見事にヒットしたそうです。

大学4年の時に花開き、地区大会をどんどん勝ち抜きました。

大学選手権出場権を掴み、さらに勝ち進んでいきます。

そして、決勝戦まで上り詰めました。

その決勝の相手が、中学時代の同期で最も強かった瀧本誠さんだったそうです。

大山さんはこの時、描き続ければ本当に夢は叶うんだと実感したと話されました。

 

おじいちゃんとの約束の日本一

大学を卒業してからは実業団に入りました。

しかし、おじいちゃんが癌を患ってしまいました。

そこでおじいちゃんと約束を交わします。

「日本一」

残念ながら、おじいちゃんは間も亡くなってしまいましたが、絶対に約束を果たすと決意します。

この時、大山さんは初めて人のために戦ったと言います。

結果、オール判定勝ちで見事日本一に輝きました

 

新しい妄想

しばらくして、大山さんの中にまた新しいヒーローが現れました。

格闘家の桜庭和志さんです。

桜庭さんの戦う姿を見たときに、震えるくらい感動した大山さんは、絶対にあのリングに経つという決意を固めます。

また夢を思い描いたのでした。

またもや予祝でした。

その後様々な出会いに恵まれ、ついに2000年、東京ドームのリングに立ちます。

ここでもやはりボコボコにされ続けました。

 

グレイシー一族との闘い、自分との闘い

特に印象的だったのは、グレイシー一族のとの闘いだったと言います。

最初のグレイシーとの戦いでは判定勝ちをしましたが、バッシングを沢山受けてしまいます。

誹謗中傷の嵐に、精神を病まれたそうです。

病院で処方などもしてもらっていました。

二度目のグレイシーとの戦いでは、右腕を折られて敗北を喫してしまいます。

そして三度目、ホドリコ・グレイシーとの戦いがやってきました。

このとき大山さんは、過去のトラウマが影響して自分が勝つ姿を描くことができなかったそうです。

だけど、弱い自分に打ち勝つ自分は思い描けたと言います。

とにかく自分に勝つんだ!

という思いで描き、練習を重ねました。

ついに本番を迎えました。

やはり強い・・弱い自分が出てきた・・

凄まじい集中力を強いられました。

そんなとき、リングの外でサポートをしてくれていた中学時代の同級生から

「大山、絶対に妥協すんなよ」

と声をかけられたそうです。

それが本当に嬉しかったと言います。

本気で叱ってくれる仲間の存在に気づき、もう一度奮起することができた大山さんは、試合に勝利を収めます。

この時に声をかけてくれた仲間はメンタルトレーニングを勉強していました。

彼は大山さんに心の状態の大切さを特に教えてくれたそうです。

「上を向け。下を向いたら心がオフになる」

 

大切なのは、「誰かのために頑張るということ」だと大山さんは語ります。

誰かにために頑張ろうとするから、夢を思い描いた時も力を発揮するし、エネルギーが湧いてくるのだと。

 

奥様との出会いは、奇跡的な引き寄せの力


最後に少し余談をさせてください。

大山さんが13歳の時のテレビCMのお話です

当時好きなCMがあったそうで、そのCMに出演していた少女に、

「いつか会えるよ。」(←男なら分かりますよね笑)

と大山さんは語りかけていたことがあったそうです。

そして昨年、ある衝撃の事実を知ることになります。

なんとその少女は、現在の奥様だったのです!!

すごくないですか!?

描いたことにはタイムラグはがあります。

達成できる時はいつかわかりません。

だから、信じて思い描き続ける事が大事です。

心と体はつながっています。

ポジティブな体の使い方をする事でポジティブな心が生まれる。

大山峻護

大山さんは最初から完璧な人ではありませんでした。

最初は弱い選手でした。

しかし何回負けてもボコボコにされても、思い描き続けました。

それが希望の光でした。

そして最後には、数々の偉業を成し遂げ、日本を代表する格闘家になったのが、大山峻護さんでした。

 

今日も素晴らしい1日が始まっていますね。

あなたが爽やかで健康な一日を過ごされることをお祈りしております。

ありがとうございました!!

行ってらっしゃい!

 

最後に


いかがでしたでしょうか。

人生って最高に楽しいですよね!

学ぶでことで、あなたの人生は大きく輝き出します

頑張らなくても、大丈夫です。

まずは自分が踏み出せる小さな一歩から

あなたがびっくりするような、衝撃の結末が、待っていますよ!

質問や感想などをコメントでシェアしていただけますと幸いです。

日本人として世界にはばたく人材が増え、グローバル競争の激化が進む現代社会においても日本が高いプレゼンスを発揮できるよう私も全力を尽くします。いずれは世界が一つになり、平和で豊かな社会になるような一助となれば幸いです。

 

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