おはようございます。
かちゅーです。
昨日に続いて今日も武士道のお話をします。
昨日は武士道の根源や成り立ち、世界からの注目度について書きました。
今日は武士道を説明する要素の一つである、「義(Rectitude or Justice)」と「勇気(Courage, the Spirit of Daring and Bearing)」について書きます。
武士道における「義」
新渡戸翁は義について、「侍の規範の中でも最も厳しい教訓(the most cogent precept of the code of samurai)」と表現されています。
義は、特に書物などによって明文化されて伝えられたものではありません。当時の人々によって自然と形成され、認知されていった徳の精神です。
新渡戸翁は江戸時代や幕末の武士、または古代中国の聖人孟子の考え方を用いて義という概念について説明しています。
例えば孟子は、
「失われた楽園を取り戻すために人が歩んでいかなけらばならない、狭く真っ直ぐな道」
と義を表現しています。
義とは人間の骨格のようなもので、それがなければどんなに強靭な筋肉や秀逸な知識を蓄えても立派には立つことができません。
また義は決断力とも似ています。すなわち、道理・在るべき人の姿に由来する高潔な意思決定の根幹となっているのも、また義なのです。
これについて幕末の志士、真木和泉守は「死すべき場合に死し、討つべき時に討つ」と表現されています。
日本史上最高の教育者とも言われる吉田松陰先生もそれにまつわる名言を残しています。
「死して不朽の見込みあらば、いつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらば、いつでも生くべし。」

吉田松蔭
余談ですが、吉田松陰先生はその後安政の大獄にて処刑されますが、後に久坂玄瑞や高杉晋作、木戸孝允などといった松下村塾の教え子たちが奮起し、幕末から明治維新にかけて日本に史上稀に見る大革命を起こします。
まさしく松蔭先生は今も語り継がれるように、死して不朽となったと言えます。
また松蔭先生の教え子たちも、幕末の志士として生きて大業をなしたのです。
明治維新以降も、日本は有色人種として唯一欧米列強と渡り合う強国へと発展を遂げますが、その礎には間違いなくこのような武士の魂があったと考えてあまり在るでしょう。
義務と義理
話を戻します。
「義」が武士道のおよそ中核を担っている概念だった一方で、そこから二つの言葉が派生しました。
「義務」と「義理」です。
義務は武士道が言うところの義を全うするべく務めることと理解することができます。
また義を全うするには、のちに説明する「勇気」を要するため、人間としての高潔なたくましさを要します。
一方の義理も、本来であれば義務となんら隔たりのない同義語でした。
字の如く「正義の道理」を表しているところからもそれが伺えます。
しかし新渡戸翁は、生まれつき身分が決まってしまいそれによって厳しい上下関係が発生する当時の封建社会においては、時間が経つにつれて義理が意味するところが変わっていったと述べています。
新渡戸翁によると、そのような身分上の上下関係によって本来の美徳である自然な情愛による義が損なわれてしまっていると述べられています。
結果的に義理は、世間が表面的に期待していることに答えようとする曖昧で空虚な方便や臆病な観念といっただけの意味合いしか持たなくなったと考えられたようです。
そのように義理が持つ意味合いが本来の義から遠ざかってしまった理由として、新渡戸翁は武士としての敢為堅忍の勇気の欠如があるだろうとされています。
武士道における「勇気」
「勇気は義のために実践するのでなければ、徳としての価値はほとんどない」
と新渡戸翁は勇気を説明する冒頭で述べています。
勇気と聞くと、命をかえりみずとも勇猛果敢に勝負を挑むことのように考えてしまいますが、武士道においては少し違いました。
義を尽くすためでは無いにもかかわらず戦って死ぬようなことは、名誉欲しさのための空虚な犬死にとして扱われたそうです。
話が混乱しないように付け加えておきますが、武士とって「死」は最終的なゴールでした。いかに美しく最期に散っていけるか、勇敢に死んでいけるかが究極の美徳とされていたのです。
ですから、未熟な武士だと威勢よく死を口にするものもたくさんいたのでしょう。
しかし武士道の本来の姿が示しているのは、決して命を無駄にすることではありません。むしろそれとは対極に位置します。
いかに自分の命を使い切り、美しく最期を飾れるかを極めていました。武士の死生観については、また改めて書いていきます。
ですから威勢だけで死を選ぶようなことをすれば、むしろ臆病者として汚名を着せられたのです。
明鏡止水
それでは、武士の勇気はどのようにして推し量られたのでしょうか。
それは、穏やかで落ち着いた心の安定でした。
真の勇気は、いかなる恐禍においても穏やかな心で平静を保てるかどうかに表れると言うことです。
明鏡止水とは、心に邪念がなく静まった状態をさしています。
明鏡とは一点の曇りもないことを表していて、止水とは水を打ったような静けさを表しています。
武士は戦禍に巻き込まれようと、切腹を命じられようと、どんな時もこのような平静さを保つことを美徳としていました。
反対に普段は虚勢を張りながらも死の瞬間は恐れおののく者は、臆病でだらしがないとみなされたようです。
私たち現代の日本人からすると、凄まじい死生観だと感じられます。
誰だって死ぬのは怖いだろうと思いますが、当時の武士はその精神を研ぎ澄まし修行を重ねることで死をも超越した境地に達していたということですね。
もちろん全員ではないでしょうが・・
しかし、実際にそのような人生を遂げていた武士たちが日本にはたくさんいたというのは事実でしょう。
それが大和魂のもとととなり、少なくとも昭和初期までは受け継がれていました。
若くして祖国のために命を落とした特攻隊員が、出撃直前に書いた遺書を見れば、そのことがわかるでしょう。
21世期の日本は物資豊かな非常に発達した文明として世界中から注目を集めていますが、元々はそういった武士の魂が形成した高い精神性によってなされたモノとも考えられるでしょう。
最近は自己肯定感が低いと言って悩む人がとても多い世の中です。
しかしこうした古くから伝わる日本の武士道や中国古来などの教えをもとに自分の人生、そして死について少し真剣に考えてみると何かヒントがありそうですね。
最後に
いかがでしたでしょうか。
質問や感想などをコメントでシェアしていただけますと幸いです。
日本人として世界にはばたく人材が増え、グローバル競争の激化が進む現代社会においても日本が高いプレゼンスを発揮できるよう私も全力を尽くします。いずれは世界が一つになり、平和で豊かな社会になるような一助となれば幸いです。
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