【武士道】~礼~ 数百年にわたり受け継がれ、育まれてきたサムライの精神

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おはようございます。

かちゅーです。

今日は武士道の七徳の4つ目である、「礼(Politeness」について書きます。

短く、簡潔にまとめていきます。

 

武士道における礼


新渡戸翁は礼儀を、

「礼儀とは、他人の気持ちに対する思いやりを目に見える形で表現することである。」

と説明しています。

また、礼儀の本来あるべき姿として、

「礼儀が人当たりの良さを損なうことを恐れて実行されるのであれば、それはまともな徳ではない。」

と言うふうに念を押してもいます。

もし、礼儀が人当たりの良さを損なうことを恐れて実行されるのであれば、それはまともな徳ではない。礼儀とは、他人の気持ちに対する思いやりを目に見える形で表現することである。

Politeness is a poor virtue, if it is actuated only by a fear of offending good taste, whereas it should be the outward manifestation of a sympathetic regard for the feeling of others. 

新渡戸稲造「武士道」(1899)

すなわち、他人から良いように見られたいなどと言う下心のために中身の伴わないことをすれば、それは礼儀とは言えないということです。

聞き流してしまえば当たり前のことのように思えます。

しかしながら、意外と多くの人は真心を込めた礼儀を尽くすということをできていないのではないでしょうか?

武士道の礼儀によると、他人に対する思いやりを表現することを礼儀と言います。

ですから、型式ばった挨拶や媚びへつらいとはまるで逆なんですね。

きちんと正対して人と接することができているか、

また真摯に誰とも向き合えているか、

武士道のならって見直してみるのもいいかもしれません。

 

無駄を省く


礼儀は日常生活だけにおいてではなく、茶道や剣術などさまざま場面における作法としても確立されました。

安土・桃山時代に千利休が茶の湯を一つの文化として確立されましたが、これにおいても礼儀作法はなくてはならないモノです。

堺と茶の湯|特集|堺観光ガイド

千利休

 

礼儀作法は長い歴史の中で形成された「目標達成への最適な手段」でもあると、新渡戸翁は述べています。

何かを成し遂げるにあたっては、必ず何らかの最適な手法が存在します。

そしてその手法は、無駄がなく優美なモノです。

ですから新渡戸翁は、礼節に完全に従うことは道徳的な修練にもなると力説されています。

正しい礼法を日々鍛錬することは、清く正しい心と優美な気品を備えることにつながるというのです。

何かしらのスキルやノウハウを会得する際によく用いられる考え方に「守破離」というものがありますね。

要するにこの「守」を徹底的に行い、完全にマスターすることが大切だということです。

長年の歴史によって築かれた無駄のない最上の作法を完璧になるまで体にすり込むことで、自然とそのマインドと知識、技法が身に入るようになります。

 

日本人は人を見る。アメリカ人はモノを見る。


礼儀作法を尽くすことは、相手に対する敬意の表れでもありました。

繰り返しになりますが、相手に対する思いやりの表現として日本人の国民性にも強く影響します。

新渡戸翁は日本人の慣習を2つ例に挙げて、欧米人のとの考え方の違いを紹介しています。

一つ目は、例えば夏の暑い日。

日傘を差していた日本人が道端で日傘を持っていない誰かと会話を始めたとします。

その時、日傘を持っていた人が自分の日傘を折りたたんで相手と話していたら、欧米人はそれを「ひどく滑稽だ」と感じたそうです。

一方で私たち日本人からすると、なんて思慮深い良い人なんだろうと思うはずです。

武士の優しさは、このような場面において言葉や振る舞いの細かな部分にまで現れていました。

もう一つの例は、誰かに贈り物をお渡しする時です。

アメリカ人は、自分が渡す贈り物の素晴らしいことを紹介します。

一方で日本人は、自分の贈り物をあえて下げて紹介します。

これもアメリカ人からすると、「ひどくこっけい」にうつる場合があるそうです。

確かに彼らの気持ちもよく分かりますよね。

「つまらないモノを受け取って相手側は嬉しくないだろ。それこそ失礼じゃないか。」

という事をいう批判家の人(日本人)をテレビでみたこともありますし・・

しかし、本来日本人が持っている倫理観は少し違っています。

それは、

「(贈り先である)あなたが最も価値ある存在ですよ。」

という誠意の印なのです。

すなわち、

どんなに素晴らしい贈り物も、あなた様と比べてしまえば大したモノではありません。ですが、せめて私からの誠意の表現として、これを受け取っていただけると幸いです。

という相手への真摯な敬意が込められた表現として

「心ばかりですが」「ささやかですが」

という挨拶は成り立っています。

 

真心を込めて相手を敬う気持ちの現れとして、こうした言葉や振る舞いを日本人は自然とできていたのです。

それが海外の人からは一見すると理解しがたいものに映ることもあるようです。

しかしその意味をきちんと理解された時には、ほとんどの人は素晴らしいと言って日本の文化を認めてくれます。

まあ、数千年の歴史において自然と育まれた人間として美徳の現れが、武士道であったり日本人の気質であったりするのですから、

そりゃ人の心を動かしますよね。

 


アメリカ人的な考え方と、日本人的な倫理観のどちらに共感するかは、人それぞれだと思います。

ですが、無闇に日本人の奥ゆかしさを悲観することは思って欲しくないですね・・。

いかがでしたか?

少しでも日本の伝統やその精神世界について知ってもらえたら幸いです。

最後に


いかがでしたでしょうか。

質問や感想などをコメントでシェアしていただけますと幸いです。

日本人として世界にはばたく人材が増え、グローバル競争の激化が進む現代社会においても日本が高いプレゼンスを発揮できるよう私も全力を尽くします。いずれは世界が一つになり、平和で豊かな社会になるような一助となれば幸いです。

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